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中学受験小説版受験の神様 家庭教師ジョーカーの「中学受験物語」 

実際の家庭教師が書いた笑って泣けて心温まる中学受験の物語!受験でぎくしゃくしがちな親子の絆を深めながら、中学受験の実態や効果的な勉強法もご理解頂けます。親子でどうぞ!リンクフリー

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プロローグ 0-1

物語 ] 2007/07/08(日)

 「中学受験物語 家庭教師が書いた「謎の家庭教師と母子の物語」


プロローグ

 

 

 走る。走る。


 真っ赤なスーツに純白のシャツ。黒のウエスタンハットに、オレンジ色の丸眼鏡。見るからにして一風変わった男が、京王線聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)の駅の階段を一段抜かしで駆け下りていく。

 階段の降りっぱな、出会いがしらにでてきた太目のサラリーマンオヤジに肩がぶつかった。
「す、スイマセーン」
彼は帽子の上から頭をおさえ顔は前に向けたまま、声だけ発して走り去っていく。
「オラー!!」
 オヤジの怒鳴り声が背後から飛んでくる。だが、まるで聞こえてないかのように自動改札機をすり抜けていった。

 改札を抜けると、彼は一瞬腕時計を気にした。もう約束の時刻が近づいてきているようだ。あたりを見回し周囲三メートルに人がいないのを確認すると、彼は靴のつまさきでトンッと地面をたたいた。

 カチャッと小さな金属音。それとともに、彼の革靴の底から、小さな車輪がにゅーと現われた。

「な、なんだ」

 そう思う間もなく、彼はローラースニーカーと化したその靴にそっと身をあずけると、スーと前に滑り出した。
 シャーという車輪の音を残して、彼は徐行しているタクシーの横をすりぬけていく。速い。速い。見る見るうちにアスファルトの彼方に消えていった。 



 この風変わりな男、実は受験生専門の家庭教師である。いわゆる、プロ家庭教師というヤツだ。

しかも普通の家庭教師ではない。この男こそ知る人ぞ知る、「幻(まぼろし)」の家庭教師である。


 家庭教師というのは、受験生をもつ家庭にとって「最後の砦(とりで)」だ。親にとって、これでダメならもう打つ手はない。
子供の能力に応じて、現在理解している段階に応じて、つまずいているポイントをマンツーマンで一つ一つ解決してもらうのだ。
これ以上の環境を子供につくってやることは不可能である。

 生徒にとっても「最後の砦(とりで)」だ。家庭教師につく場合、たいてい生徒はすでに追い詰められている。
自分で勉強してもダメ。塾へ行ってもダメ。質問してもダメ。塾をかえてもダメ。場合のよっては、個別塾にすがりついている場合もある。でもダメ。

 努力しても成果のあがらぬ現実を目の当たりにするたびに「自分は頭がわるい。ばかだ。おろかだ」と自分自身をののしり、近い将来必ずやってくる入学試験本番の日を恐れおののく。
そして、その日が間近にせまるにつれて、敗れてしまいそうな憂いにおちいり、失望と自己嫌悪の世界にはまってしまう。

 そこで、最後の思いを託してすがりつくのが家庭教師なのである。


 「もし、家庭教師をつけてもダメなら……」―――――――――――――そのときは今度こそ親子はあきらめるだろう。

 「この子にはこれ以上無理だ。勉強もむいてないかもしれない。ほかの道を考えなくては」と。
「どうせ、ぼくはいつまでもこのままだ。勉強なんかもうイヤだ」と。



 一般的に教育の世界では、教師は優秀な生徒をかかえたがるものである。そのほうが有名校に受かって自分の実績を上げやすいし、そういう生徒のほうが勉強の素養や習慣がついているので教えるほうもラクだからである。
本音で言えば、教えてもできるはずのない子どもにはあまり手を掛けたくない。これは塾も進学校も同じことである。

 ところが、この男は逆に、末期的な状況におちいっている超劣等受験生だけをあえて受け持つ。
生徒本人が一番苦しみ、教師がもっともいやがる致命的な不得意教科をすすんで担当する。

 でも、彼の手にかかれば、今までどんな手段を講じてもダメだった苦手教科の偏差値が軽く十二十と上がり、得意教科になってしまう。
低く停滞した救いようのない成績が、わずか数ヵ月で別人のようにつくりかえられてしまう。
その結果、生徒はひとりの例外もなく、大逆転のすえ、夢に描いたチャレンジ校の合格を勝ち取ってしまうのだ。本人も周りの者もまるで「幻」を見せられているような気分になる。

 その絵に描いたような逆転劇は、まるで調理されたかのように鮮やかで、魔術にかけられたかのように不可思議だという。
その手さばきを、手塚治虫のマンガに出てくる天才外科医「ブラックジャック」にたとえる者さえいる。



 だが、この男が「幻(まぼろし)」といわれているのは、これだけが理由なのではない。

 

 

 

 


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プロローグ0-2

未分類 ] 2007/07/08(日)

 プロ家庭教師といえば必ずどこかの家庭教師センターに所属しているものだ。だが、この男だけは日本中どこのセンターでも見つけだすことはできない。

 毎年多くの成績不振生徒をかかえる親が、どこで耳に入れたのか、わずかな情報を頼りにあちこちのセンターを通してこの男を探しだそうとする。


しかし、当(あ)てがはずれどうしてもこの男の連絡先をつきとめることができない。みな、肩をすぼめて帰っていくのである。 

「ものすごい家庭教師がいる」
 そのうわさはよく聞くものの、ほとんどの親は、この人物の年齢、経歴はおろか、名前すら知らないのだ。
ただ風の便りでよく耳にする手掛かりとしては、どうやら男であるらしいということだけである。

 ちまたではいつしか、名もわからぬ彼のことを、「ジョーカー」と呼んでいる。ジョーカーというと、トランプに描かれている腹が黒そうな悪魔の絵を連想してしまうかもしれないが、ここではもちろん「切り札」という意味である。


 話はそれるが、家庭教師というのは裏稼業(うらかぎょう)だ。 

ひとりの生徒が難関校に合格すると、脚光を浴びるのはまず生徒本人、次に父母、そしてせいぜい塾までである。 塾が陽の当たる産業だとすれば、家庭教師はいわゆる闇(やみ)の仕事人である。家庭教師が日の目を見ることはない。

  いってみれば、縁の下の力持ちにすぎない家庭教師は生徒の影のようなものである。 生徒にとって一番身近で最も影響を与える存在でありながら、塾の手前か友人の手前か知らないが、家庭教師をつけていることを親子ともども神経質なくらい伏せる。

  だから家庭教師というのは、最終兵器であると同時に秘密兵器でもあるのだ。 たとえ奇跡とよばれる逆転合格を生徒が果たしたとしても、家庭教師に光が当たることはない。

 合格体験記にも、子供の様子と親の苦悩と世話になった塾への感謝の言葉が無難に書いてあるだけで、家庭教師に関しては「か」の字もないのがふつうだ。だが、それでいいのである。

  くりかえすが、家庭教師というのはあくまでもウラの稼業であって、オモテには出てこない。 だから、世の中にやたら役に立たない家庭教師が蔓延(まんえん)する中でこのような天才的な家庭教師がひとり存在しても、センターで所在がわからなければ、探し出すのは太平洋に落としたダイヤの指輪を見つけだすほど難しい。

 もし、家庭教師をつけてもらってそれで成績が急激に上昇したならば、親が血眼(ちまなこ)になって探した結果だ。子どもは親に感謝しなくてはならない。

  生徒の合否というのはたいてい、周囲や塾の予想を裏切らず、受かるといわれているところには受かり、ちょっときついだろうといわれる学校にはやはり落ちるものだ。

  またいくら塾が能力別クラス編成をうたっていたとしても現実的には成績が急上昇してクラスがどんどん上がっていくことはほとんどなく、はじめのクラスのまま成績の高い者は高いなりに、低い者は低いなりに、固定されたまま最後までいってしまうものである。

  塾に行っているだけで、成績の相対順位や偏差値がどんどん上昇しやがてトップにのぼりつめるということは、きわめて稀だ。

  だが、世の中に極めてわずかな人数だが、毎年ある時期から突然成績が上がりだし、ごぼう抜きの大逆転を果たす生徒がいる。塾の先生が「受験というのはわからないものだ」と感嘆し、ライバルたちは「なぜあいつが」とギョッとする。

  それほどまぶしいまでの大逆転劇のうらに、実は優秀な家庭教師がついていたということは、よくある話である。体験をした者なら容易にわかることだが、受験における家庭教師の影響は計り知れない。本人の受験自体を大きくゆるがすものなのである。

  逆転に信じられない感動が加われば加わるほど、家庭教師の姿は子供たちの胸に深く深く刻み込まれていく。そして大人になって自分の人生を振り返るとき、昨日のようにありありと浮かんでくるのだ。

 あのまっすぐ自分にむけられたまなざしが、そして、染みいるような深いことばが…。  

少年時代のあこがれに投じた、熱い思いとともに……。


授業はわかるのに点は取れない1 中学受験物語につづく>>

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中学受験物語 1-1第一章 授業はわかるのに点が取れない1

物語 ] 2007/07/09(月)

「小説 受験の神様 家庭教師が書いた謎の家庭教師と中学受験母と子の物語」

 


 
第一章   授業はわかるのに点が取れない

 

  東京渋谷から横浜を走る東急東横線武蔵小杉駅の近く、小学六年生のひとり息子をかかえるふつうの主婦がいた。名前をかおるという。

  いきなり話がそれるが、彼女は自分の「かおる」という名前が好きではない。どうして両親はこんな名をつけたのだ、と思うこともあった。少々乱暴だが、以前からいっそのこと名前をちがうものにかえてしまいたいとさえ思っていた。

  いや、これは正確な表現ではない。子供の頃は結構気に入っていた。

  ではなぜ嫌いになったか。それは、結婚を期に自分のみよじが夫のみよじ「みたらい」に変わったからである。

  「御手洗」とかいて「みたらい」と読む。しかしこれを「みたらい」と読める者は少ない。多くの人は間違ってつい「おてあらい」と読んでしまう。相手に悪気(わるぎ)はないのはわかっていることなのだが、かおるはそれがとてもいやだった。

  たまたまだんなの姓が「御手洗(みたらい)」だっただけである。だが、それに「かおる」という名前がつくと、まるでにおいのついた便器みたいでたまらなく不快だった。病院や銀行などで「おてあらいかおる」と呼ばれて周囲からもれた笑いに、肩身の狭い思いをしたことも数知れない。今後二度とそのような呼ばれかたはされないよう、最近では氏名のふりがな欄にひらがな・カタカナ、さらにローマ字まで書いて奮闘努力している。

    結婚して三年後、男の子が生まれた。待望の第一子に、子供にはこのような生き恥はかかせたくないという強い思いから、命名(めいめい)にはかなり神経をつかった。ただでさえみよじがトイレと連想されやすいだけに、下手な名前を付けて一生人からからかわれてしまうようではいけない。万が一「御手洗(みたらい)」を「おてあらい」と間違えて呼ばれてもいいように、トイレと結びつきそうな名前はことごとく候補からはずしたのである。

  したがって、「総司(そうじ)」「清(きよし)」とかはもちろん「大作(だいさく)」とかいう名前も一発で削除された。

そうして慎重に慎重を重ねた結果、世をやすらかなものにしてほしいという願いをこめて、その男の子に「靖世」という名をつけた。これなら「おてあらいやすよ」と誤って呼ばれても、それほどおかしくはない。「おてあらいそうじ」などからみればだいぶ増しだ。

  かおるのその計らいは図に当たった。靖世は小柄で気も弱くいじめる標的には格好の少年であったにもかかわらず、今日までトイレと名前を結び付けてからかわれたりいじめられたりということは一度たりとてなかったのだ。その意味で、かおるの思(おも)わくは成功した。

  ところが、彼女がにんまりとするのはまだ早かった。学校でも塾でも靖世の周囲の者はそのような呼び方をしない代わりに、あたかも自分の裸をいきなりのぞかれてあわてて手で前を隠すようなポーズをとりながら、抑揚をつけフルネームで靖世を呼んだ。

  「見たらイヤッスよ!」  

 御手洗靖世はその後の人生を、誰からもこうよばれることになってしまったのである。

  こうなると、そういう母の名付けの配慮などどこかに飛んでいってしまう。

  「なんでこんな名前にしたんだああー」とわめく靖世に、

  「人間名前じゃないのよ。中身が大切なのよ」と、 あれほど名前にこだわった母かおるは手のひらを返したように言いわけし、説き伏せるしかないのであった。

  と、まあ、ここまでは、仲がよいのか悪いのかよくわからない、ごくふつうの親子である。


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中学受験物語 1-2 授業はわかるのに点が取れない2

物語 ] 2007/07/10(火)

「小説 受験の神様 家庭教師が書いた謎の家庭教師と中学受験母と子の物語」

 


 




 靖世が小学校六年生に進級し、ひと月以上がたった。五月も下旬にはいり、春のあたたかな昼下がりの日差しがリビングのテーブルにやさしくさしこんでいた。
本来はうとうと居眠りでもしたくなるこんないい天気の日に、かおるの心のなかは厚い暗雲がたちこめていた。

 「どうしよう」
 かおるは、靖世の私立中学受験のことで頭をかかえていた。
靖世は中学受験のための進学教室に通っていた。朝は地元の公立小学校に通い、放課後週に三日、家から徒歩二十分の塾に通うのである。

 私立中学受験というと「公立だってあるのに、なにもわざわざ小学生に血がにじむような茨の道を歩ませなくても……」という意見もあろうが、靖世の地区では中学受験は別段珍しいことではなかった。
私立中学に行くかどうかはおいといて、「一応受けてみる」というものまで含めれば、小学校のクラスの半数以上が受験をする。
この地区の公立中学校は、イジメや風紀の乱れ、教師の質の低下などの問題が噴出し、評判はかんばしくなかった。
そのうえ、公立中学の教育内容は親の世代から見ればぐっと減らされてきてしまっている。

 「できれば自分の子供は公立には入れたくない」
 この地区に住む親ならば誰(だれ)しも感じることであった。
中学受験に親のエゴやミエを張る道具という印象をもつ人は多い。
しかしその大半は、魅力のない公立中学から子供を守るために親が取れる唯一の自衛手段である。この地区でも例外ではなかった。

 「算数の偏差値、あと十あればなあ」
 かおるは靖世のことを思うたび、こんなことをあてもなく考えるようになった。靖世の苦手な算数、あと偏差値十あればずいぶん学校を選ぶことができるようになる。
それよりも、むずかしい苦手教科を克服することにより、靖世のすべてのことについて自信につながるのではないかと、かおるは感じていた。

 かおるの中学受験に対する考えは、よくいる親と少しちがっていた。
「なにが何でも私立」とまでは考えていなかった。この地区の公立中学校はたしかに問題はあったが、私立でも魅力をあまり感じられない学校にしか受からなかったら、あえて靖世を私立に行かさず、公立中学から高校受験をさせようと思っていた。

 私立だから風紀がいいとはかぎらない。
イジメがないとはかぎらない。いやおそらくイジメはどこにでもあるだろう。
ましてや、チビで、気が弱く、泣き虫このうえない靖世なら、いじめっ子から見れば格好の標的になるはずだ。だが大事なことは、イジメも寄り付かないような男としてのたくましさが靖世にあるかどうかである。

 かおるは、靖世に中学受験という試練を与えることによって、「精神的な強さを鍛えられたら」と思っていた。
もちろん夫の行った私立男子校最難関、桂成中学にいけたら理想的だ。でもいまの靖世では望むべくもない。

「こんなはずではなかった」
靖世を塾に通わせはじめた二年前、靖世の成績はわりと優秀で、いまの情けない状態は想像もしなかった。
そのときのかおるには、中学受験に両刀の刃があることにまだ気がついていなかった。

 中学受験は、小学高学年のまだなにも色づけされていない真っ白な状態の子供たちが体験する。この時期はいうまでもなく人格にそして人生に大きな影響を与える時期である。
首尾よく志望校に受かれば、それは大きな自信につながるだろう。「がんばれば夢はかなうんだ」という、積極的で前向きな態度で今後の人生を歩むことになろう。

 また勉強の内容も高度だ。高校受験はもとより、大学受験にもまったく引けを取らないほどの頭を使わせる問題がひんぱんに出題される。知識レベルも社会に出てからにも役に立つ有用なものが多い。
人生で最も吸収力のあるこの時期におぼえた知識は、なかなか忘れるものではない。
だから、中学受験を経験することは、高校・大学受験を有利に展開するだけでなく、その後の人生の知的好奇心を満たすのに力強い味方になってくれるはずだ。

 しかし、中学入試というのは、ほとんどの子供にとって初めての受験体験である。小学六年生という微妙で多感な時期にはっきりとしたかたちで勝負がつく。
 それだけに、もしこの人生最初の受験機会につまづいた場合、将来にわたる影響は想像以上のものがあろう。二度とチャレンジする勇気を出せなくなるかもしれない。
あたかも、一度おぼれかけたおさなごがそのあともう二度と入水したがらず泣いて拒否するのと同じように、いつまでも次の一歩を踏み出すことができなくなってしまったらもともこもないのである。

 また、不得意教科を克服できず、自分には向かないと自分で決めてしまい、自ら自分の能力や将来の可能性にふたをしてしまうような危険だってある。

 だから、どんな受験でも首をつっこんだ以上勝たねばならないが、ことさら中学受験に関しては負けるわけにはいかない。

 このようなことが薄々わかってきてから、かおるの不安は日に日にふくらみ、いずれ現実化しそうで気が気ではなかった。 
 かけがえのない靖世をつぶしてはならない。だからといって、いまここで受験をやめ逃避することが靖世にとって好結果につながるだろうか。
こんなことをしていたら、靖世は困難に直面するたび、すぐ逃げだす口実ばかり探すような人間になってしまうだろう。

 そうだ。そうなのだ!勝つしかない!
……しかし、そうは思ってみても、今のままでは討ち死にを待つばかりだ。


 かおるは、靖世の見ていないところでいつもうまくいかない息子のことで悩んでいた。しかし当の靖世のほうはどうかというと、「知らぬが仏」と言えるほど脳天気だ。

 近い将来そのようなわなが自分に向けられているとは、またいつも口うるさい母親がこの自分のことでそれほどまで悩んでいるとは、夢の中にだって出てこない。
彼はたびたびかおるに反抗し、またテストではあいかわらず進歩のきざしも感じられないひどい点を、涼しい顔をしてとってくるのである。

 


 



 御手洗家(みたらいけ)には、先日受けた模擬テストの結果が郵送されてきた。
月一回同じ系列の塾で、いっせいにとりおこなわれた試験の結果が一週間ほどして送られてきたのである。
その成績を、かおるはある程度覚悟していた。

 ここのところ、靖世のテストの成績は一進一退を繰り返しながらも全体としては下降の一途。
けれどもこれほどひどい結果がこの封書(ふうしょ)に入っていようとは、かおるも予想外であった。主要四教科の偏差値は四十三、うち特に算数はひどくその偏差値は三十八だった。目の前が暗くなった。

 かおるは靖世を塾に入れてから今日までのことを思い返した。
 中学受験の塾へ通わせるようになって、約二年がたつ。さきほども述べたように、はじめはまあまあの成績だった。
決して十分な成績とは言えなかったが、夫が卒業した私立男子校最難関「桂成中学」にかろうじて射程圏に入っていた。親の欲目かもしれないが、このままがんばれば夫のでた桂成中学に合格できるかもしれない。
夫もかおるも、一粒種の息子に期待した。

 新聞社に勤める夫実(みのる)は、一昨年末から、会社の海外人事によりフランス支社におもむいていた。したがってかおるたちは今日本において母一人子一人の母子家庭として暮らしているのである。

 夫のいないあいだ子供をあずかっているかおるは、責任を感じていた。 

 「私のやり方が悪かったのかしら」

 半年ほどまえから靖世の勉強への意欲は明らかに落ちている。最近家にいるときもなにかふぬけた感じで、机に向かうのもなかなか尻が重そうだ。
それは、テストの成績と連動し、成績が落ちてはさらに意欲がさがるという悪循環におちいっているようだった。

 「息子の落ちていく姿は見たくない」
 かおるは靖世にテストが返ってきてはその成績のことで注意し、気をぬいた勉強態度を見つけては口やかましくしかった。あまり細かいことまで言いたくなかったが、足もとに火がついている現実を前にこうするよりほかなかった。靖世の成績が上がることをひたすら願った。

 靖世がなかなか解けないでいる姿を見ると、横からその問題をのぞきこみ、なんとか自分が教えられないかとさぐってみた。
 しかし、昔はけっこう簡単に見えた靖世の勉強も、最近では入試一年を切って塾も本腰を入れだしたのか急にレベルが上がり、かおるの手に余る問題がずいぶんしめるようになっていた。
苦しむ我が子に、文句しかいうことのできない歯がゆさを感じていた。


 

 


 

授業はわかるのに点が取れない3 中学受験物語につづく


中学受験 塾家庭教師も知らない速効偏差値10UP勉強法

 

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中学受験物語 1-3 授業がわかるのに点が取れない 3

物語 ] 2007/07/11(水)

「小説 受験の神様 家庭教師が書いた謎の家庭教師と中学受験母と子の物語」




その晩、食事が終わると、かおるはつとめてやさしい口調でこのテストを引き合いにだした。
「靖世、この前のテスト返ってきたわよ」
「えっ。なか見たの」
「見たわよ。ひっどい。なにこれ」
「テストの答案」お茶を濁(にご)してごまかすように、靖世は頭をかいた。
「またそんなこといって、あげ足を取る。点数よ。てーんすう」
靖世はなかを開けて成績表を広げてみた。目が宙にういている。

「塾でな・に・聞いてんのか……」靖世はこたえなかった。

 かおるは身を乗り出した。
「ねえ、塾の先生の話、わかるの」
「わ、わかるよ」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあなんでテストでできないの」
「わかんない」
「わかんないって、まじめに考えてよ」
「わかんないんだもん」靖世はぶっきらぼうにこたえた。

 かおるは質問を変えた。
「算数さ、はじめの方は結構できてるけどさ、二番の文章題からぜんぜんできてないじゃん。塾でこんなのやったんじゃないの」
「似た問題はやったけど、同じのじゃないよ」靖世はつまんなさそうにこたえた。
「そりゃ、まるで同じ問題はでないわよ」
「だって…しょうがないじゃん。あっそうだ。野球、野球。巨人、今日勝ってるのかな」

 ひととおり出された食事を食べ終わらせた靖世は、敷居(しきい)をへだててリビングとつながっている畳の間に行こうとした。そこにあるテレビのスイッチを入れることで、かおるの小言から耳をふさごうとしたのである。テストのことなどどこふく風という感じだ。

「ちょっとぉ」
 そうはさせじとかおるは靖世の腕をつかみ、テーブルにすわらせた。
「しょうがないって…あんたすこしはなんとかしようと思っているの」
「わかんないよ。なんでできないんだって言われたって」
テレビを見せてもらえないせいか、靖世もすこしふてくされぎみだ。

「宿題ちゃんとやっているの」
「やっているよ。ちゃんと」
 そういえばちゃんとかどうかはともかく宿題は一応やるようにしているな、とかおるも思い返した。塾のない日はだいたい、食事が終わると自分の部屋に行って、算数の計算みたいなものをノートにごちゃごちゃ書いている。

 授業は聞いているし、わかるし、復習もしている。じゃあなんでできないんだ。

 
「わかった気になっているだけじゃない?」
「わかった気?わかった気ってなあに?」
「ママも経験があるんだけど、先生が授業でお話していることは明快でそのときは『わかったなあ』って気がするんだけど、あとになってみるとぜんぜんわかってないってこと」
「そうかなあ。でも、先生の話を聞いてるときは本当にわかったと思うんだよ。こんなんじゃ、わかったってことがいったいどんなことなのか、それこそよくわからないよ。ああ、わかんない。わかんない」

 手を払うようにそういいながら、テレビの前に腰を下ろしスイッチをまた入れた。プロ野球番組のアナウンサーが、チャンスだなんだいってさけんでいる。靖世はぼおっと口をあけてただ画面を見ている。

「ねえ、やる気あるの?」

 返事がない。試合の動向が気になって、かおるのことなど見向きもしない。
かおるは靖世の態度にだんだん業(ごう)を煮やしてきていた。

「聞いてんの?」
「……んっ……。………う、うん」

 今度は気のないカラ返事がかえってくる。こうなるとかおるのほうもはじめこそ気を利かせて優しく言おうとしたが、気の短い性格とテレビの耳障りな音が重なって、感情を押さえきれない。

 かおるは、つばをはくように言葉を吐き捨てた。

「なによ。だめガキっ」

 かおるにとって思いがけず出てきた言葉だったが、靖世にとっても不意打ちだった。靖世の顔はみるみる赤くなった。

「だめガキっていったな……」

 かおるはいったん感情的になってしまうと、もうあとに引けない。一度鶏冠に来てしまうといつものおだやかな標準語が一転して、兵庫県淡路島育ちの迫力ある関西弁が高射砲のように火を吹いてしまうのだ。

「ああ、言ったわ。だめガキに『だめガキ』って言ってなにがあかんのや。それともほかに「トンマ」とか「スカ」とか、なんかほめ言葉、付けたろか?」

 靖世も言い返した。
「だってしょうがねーだろー。わかったかわかってねーのかなんて、わかんねーよー!」

「アホ!そんなのちゃんと勉強すりゃー、わかるわ!あんたがちゃんと勉強しないんだけらいけないんやろが!」

「うるせー。ママになにがわかるんだ。おれだってがんばっているんだぞ!」

 それからはいつものように言い合いになった。かおるも靖世も頭の中のやかんが沸騰(ふっとう)してひっくり返っていた。罵声と怒号の雨が降り、靖世はすっかりつむじを曲げた。かおるも言うべきことばがなくなると、ぷいっと押し黙って口をきかなくなった。

 そのむこうでテレビは大盛(おおも)りあがりを見せた。非情に気まずい御手洗家(みたらいけ)の雰囲気のなか

「はいったあ。逆転ホームラン!やったああー」

というアナウンサーの間の抜けた絶叫と、ファンファーレの音楽が部屋じゅうにひびきわたる。かおるはその音が耳についたのか、ぷちっとテレビを切った。部屋の中に静寂が戻った。

 「ねえ、靖世」少ししてかおるは声をかけた。
「しらないよっ!」靖世はまだいじけてへそを曲げている。

 かおるは畳にすわっている靖世の横に腰をおろした。
「この二番の二なんてできそうだけどな」
 かおるがひとりごとをいっていると、靖世がかおるが手にしている問題用紙をのぞき込み,ぼそぼそと小さな声で話しはじめた。ケンカになったとき、靖世というのはこちらから話しかけてもむくれて何も答えないくせに、放っておかれると自分からブツブツ話し出すのだ。いつものパターンである。

「その問題ね。前に授業でやったしこれは絶対できると思ったんだ。だけどさ、実際解きはじめるとなんか変な感じがしてきてうまくいかなかったんだ。ときどきそんなことがあって、そうなるとあたまのなかが真っ白になって、なにをすればよいかわからなくなるんだ」

「いざ解きだすと進まないって感じ?」
「うん……そうかな。たぶん」

 靖世の気持ちがやや落ち着いてきて、ここですこしでも気のきいた言葉がでれば話ははずむのだろうが、それができない口下手(くちべた)なかおるであった。

ばかじゃないのっ。問題を解く回数が少ないのに決まってるじゃない。もっと勉強しろといっているのに、いうこときかないからダメなのよ」

 どうしても攻撃的な言い方になってしまう。せっかく靖世との会話がもどりかけたのに、これではもとのもくあみである。彼の防衛(ぼうえい)反応(はんのう)が働いてしまってうまくいかない。

「これ以上やれっていうのかよ。むちゃだよ」
 靖世はいじけたくなる気持ちに負けないように、またふくれっつらをつくった。そこにかおるの容赦(ようしゃ)ないことばが、また飛んだ。

「あら、ゲームなんかやってないで、勉強すればいいのよ。そうしたらもっとできるじゃない。努力が足りないのよ」

「ええー、これ以上ゲームを減らせってぇ。ヤダヨー。ただでさえ、我慢しているだぞ。フザケンナ、フザケンナ、フザケンナ」

 靖世は最近わずかになった遊び時間を死守するため、小鼻をふくらませて断固拒否した。やけをおこし、くやし涙をながしながらテーブルやイスにあたりちらしている。こうなれば後の祭りである。かおるの声など、もう耳に入らない。


――――ああ、またやってしまった。――――

 いつも靖世とはこんなことの連続である。頭に血がのぼったとはいえ、かおるには毎度のこと、予想された結果であった。わかっちゃいても、一度スイッチがはいると、その機関銃のような口は止まらない。

 たしかにこれ以上靖世を机に向かわせるのは、かおるからしても気がとがめられた。そりゃあ、もっと勉強している子もいるのだろうが、靖世もそこそこやっている。さらに勉強時間をとろうにもせいぜい日に一時間増やせるかどうかだ。でもここまで追い込んだら、入試本番の二月まで靖世がもつはずがない。

 勉強時間を増やすよりもっとやるべきことはないのだろうか。勉強時間の問題というより、勉強法に問題があるのではないだろうか。

 それにしても、腑(ふ)に落ちないのは、授業がわかって宿題をこなしてそれで偏差値三十八ということである。こんなことってあるのだろうか。宿題が膨大すぎてやりきれない生徒が大勢いるという話も、よく耳にするのに。


 沈黙しているかおるのよこに靖世がいた。ひっくひっくと鼻水をしゃくりあげてはいるが、その目はなかなか評価してくれない母親に訴えるかのようであった。





授業はわかるのになぜかテストになるとできない。算数・数学が苦手な人間の典型的なパターンである。このような状態におちいる生徒は、毎年数知れない。

 わかったはずなのに、書けない、できない。できそうでできない。これは、本人にはかなりフラストレーションがたまるものだ。

 原因がわからぬ病気のように、始末におえない。すらすらできるライバルを横目に見ていると、自分には算数や数学の才能がない、頭が悪いと思い悩んでしまう。

 果たして、ほんとうに才能がないのだろうか。頭が悪いのだろうか。

 なぜこうなってしまうのだろう。そして、どうしたらここから抜け出せるのだろう。努力だけの問題なのだろうか。



<続く。>



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中学受験物語 2-3 塾との相談

物語 ] 2007/07/14(土)

 事務室にもどってくると先生はタオルで額の汗をふいた。「おお、無事に帰ってくれた」と、ほっと安堵の表情を見せた。

「何とかなってよかったですね。電話がきたときはどうなるかと思いましたよ。さすが塾長、最後のまとめ方なんて天下一品ですね」
同僚の若い先生が片目を閉じてニッと笑った。先生はつぶやきかえした。

「一時(いちじ)は『塾をやめる』とか言い出さないか、ひやひやしたよ。塾は夢を売る商売だからね。子というよりは親にだけど」

 愚痴を聞いて、難しそうな顔して、努力の少ないことを指摘して、なだめる。そして可能性を示して、夢を膨らまして、期待させる。この塾では、これが親の相談に対する黄金律だ。たいていの親はこれで気をよくして帰っていく。

 一年のうち塾をやめようかどうしようか、親が真剣に悩むのはどうせ一回や二回だ。そのときうまくタイミングをはずしてやれば、まず最後までやめることはない。下位クラスの生徒はやめなきゃいいのだ。

 その手綱さばきは、相談役の教室長の手腕にかかっている。




 一方かおるは教室長が舌を出しているとはつゆ知らずいそいそと家路に向かった。ところが塾の建物が見えなくなると、足を止め、ふうっとため息をついた。

 彼女は別に安心して帰ったわけではなかった。塾の先生の手前そういう顔をつくって花を持たせただけなのであった。客の思いやりだ。

 むしろ、かおるの不安はいっそう深まった。頼りにしていた塾がこの事態を解決するのにまるで役に立たない。非を鳴らすだけで、具体的な方策は何も知らないのだ。

 結局塾が言ったのは「一にも二にも、努力、努力、努力」「もっと油をしぼれ」ばかりである。そりゃあそうだろう。ぬるま湯につかりきってたるんでしまった気持ちにあらためてえりを正し、ねじを巻きなおさなくてはならないことはあきらかだ。

 だが、ほかにはなにか言うことは無いのだろうか。

 「家で」「家庭で」という責任逃れ的な言葉ばかりが気になった。「量が足りない」「もっとやる気を出せ」なんて誰でもいえる。

 先生のこたえは、自分の聞きたい内容とはまったく次元がかけ離れていた。本当は自分では気がつかない素晴らしいプロのアイデアというものに期待していたのだが、返ってきた答えは言われなくてもわかっていることばかりである。先生の話はかおるにとって、まるでのれんに腕押しだった。

 少しでも先生の経験からいろいろ引き出そうと自分なりに質問を工夫したつもりだったが、壮絶ないたちごっこが繰り返されるばかりだった。

 ノラリクラリかわして煙(けむ)に巻こうとしている彼の様子を見ていると、これ以上話をしても打開策が出てこないのは火を見るより明らかだ。永久に平行線をたどるだけであろう。尻が長い客だと思われるのが関の山だ。

〈これ以上は時間の無駄〉
ぜんぜんいい足りない気分だったが、かおるは言葉をのみ込み、そでを分かつ気分で帰ることにしたのだ。

 だが、先生がかおるにいった「しっかり」とか「ちゃんと」といった言葉は、普段かおるが靖世に対して無意識のうちにつかっていた言葉でもあった。

 かおるが先生に対して感じたものと同じことを、きっと靖世もかおるに感じているに違いないのだろうが、なかなか自分のことは気がつかないものである。このときのかおるは、まさにそうであった。

 「塾も営利企業だよなあ」かおるは思わずつぶやいた。

【受験に無知な親子はいつの時代も無能な教師のえじきだ。

 殊に中学受験に置いては、無責任な塾ほど「我々にすべて任せろ。親はなにもするな」と主張し、子供の勉強と親に距離をおかせる。そのくせ成績が悪いと、本人の勉強不足の一点張り。それでいて入試が近くなるとスベリ止めにしてもあまりに低すぎる学校をいくつも受けさせ、最悪の場合それにひっかかった合格をもって自分たちの成果を強調する。

 「もしうちの塾にこなければ、お子さんはここも受からなかったでしょう。うちにきたから受かったのです。どうですか、素晴らしいでしょう」などという都合のいい台詞をはきながら】


「機が熟しました。いまこそ、スタートを切るときです。いまやらずしていつやるのですか。我々は受験の専門家です。勉強については、我々プロに任せてください。お母様は勉強のことは何もしなくて結構です。まかぬ種は生えません。がんばりましょう」

 入会したとき胸をたたいて見せた教室長先生の勇姿を思い出して、かおるは思わずプッとふきだしてしまった。


続く。http://www.kirifuda.jp/
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受験のキリフダ

Author:受験のキリフダ
できない中学受験生を逆転支援する塾&家庭教師をやってま~す。
 
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 現在中学受験逆転支援塾「アップスタート」を主宰し、指導及び教材開発などをしております(http://www.kirifuda.jp)。


 私は、小学生以下の年齢の教育の重要性を強く認識しております。
 そして心身ともに優良でかつIQ200以上の天才児というのは、育てられると確信しております。

 私は現在の日本の教育改革の方向性を明らかにするためにも、
「天才児を育むプリスクール(乳幼児のための教室)をつくりたい」という夢を持っています。
 
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