この物語は、いま中学受験に悩んでいるすべての受験生と保護者のために書いた、中学入試をめざす母子家庭と不思議な家庭教師の物語です。
目次
まだまだ続く
[ 物語 ] 2007/07/08(日)
走る。走る。
真っ赤なスーツに純白のシャツ。黒のウエスタンハットに、オレンジ色の丸眼鏡。見るからにして一風変わった男が、京王線聖蹟桜ヶ丘(せいせきさくらがおか)の駅の階段を一段抜かしで駆け下りていく。
階段の降りっぱな、出会いがしらにでてきた太目のサラリーマンオヤジに肩がぶつかった。
「す、スイマセーン」
彼は帽子の上から頭をおさえ顔は前に向けたまま、声だけ発して走り去っていく。
「オラー!!」
オヤジの怒鳴り声が背後から飛んでくる。だが、まるで聞こえてないかのように自動改札機をすり抜けていった。
改札を抜けると、彼は一瞬腕時計を気にした。もう約束の時刻が近づいてきているようだ。あたりを見回し周囲三メートルに人がいないのを確認すると、彼は靴のつまさきでトンッと地面をたたいた。
カチャッと小さな金属音。それとともに、彼の革靴の底から、小さな車輪がにゅーと現われた。
「な、なんだ」
そう思う間もなく、彼はローラースニーカーと化したその靴にそっと身をあずけると、スーと前に滑り出した。
シャーという車輪の音を残して、彼は徐行しているタクシーの横をすりぬけていく。速い。速い。見る見るうちにアスファルトの彼方に消えていった。
この風変わりな男、実は受験生専門の家庭教師である。いわゆる、プロ家庭教師というヤツだ。
しかも普通の家庭教師ではない。この男こそ知る人ぞ知る、「幻(まぼろし)」の家庭教師である。
家庭教師というのは、受験生をもつ家庭にとって「最後の砦(とりで)」だ。親にとって、これでダメならもう打つ手はない。
子供の能力に応じて、現在理解している段階に応じて、つまずいているポイントをマンツーマンで一つ一つ解決してもらうのだ。
これ以上の環境を子供につくってやることは不可能である。
生徒にとっても「最後の砦(とりで)」だ。家庭教師につく場合、たいてい生徒はすでに追い詰められている。
自分で勉強してもダメ。塾へ行ってもダメ。質問してもダメ。塾をかえてもダメ。場合のよっては、個別塾にすがりついている場合もある。でもダメ。
努力しても成果のあがらぬ現実を目の当たりにするたびに「自分は頭がわるい。ばかだ。おろかだ」と自分自身をののしり、近い将来必ずやってくる入学試験本番の日を恐れおののく。
そして、その日が間近にせまるにつれて、敗れてしまいそうな憂いにおちいり、失望と自己嫌悪の世界にはまってしまう。
そこで、最後の思いを託してすがりつくのが家庭教師なのである。
「もし、家庭教師をつけてもダメなら……」―――――――――――――そのときは今度こそ親子はあきらめるだろう。
「この子にはこれ以上無理だ。勉強もむいてないかもしれない。ほかの道を考えなくては」と。
「どうせ、ぼくはいつまでもこのままだ。勉強なんかもうイヤだ」と。
一般的に教育の世界では、教師は優秀な生徒をかかえたがるものである。そのほうが有名校に受かって自分の実績を上げやすいし、そういう生徒のほうが勉強の素養や習慣がついているので教えるほうもラクだからである。
本音で言えば、教えてもできるはずのない子どもにはあまり手を掛けたくない。これは塾も進学校も同じことである。
ところが、この男は逆に、末期的な状況におちいっている超劣等受験生だけをあえて受け持つ。
生徒本人が一番苦しみ、教師がもっともいやがる致命的な不得意教科をすすんで担当する。
でも、彼の手にかかれば、今までどんな手段を講じてもダメだった苦手教科の偏差値が軽く十二十と上がり、得意教科になってしまう。
低く停滞した救いようのない成績が、わずか数ヵ月で別人のようにつくりかえられてしまう。
その結果、生徒はひとりの例外もなく、大逆転のすえ、夢に描いたチャレンジ校の合格を勝ち取ってしまうのだ。本人も周りの者もまるで「幻」を見せられているような気分になる。
その絵に描いたような逆転劇は、まるで調理されたかのように鮮やかで、魔術にかけられたかのように不可思議だという。
その手さばきを、手塚治虫のマンガに出てくる天才外科医「ブラックジャック」にたとえる者さえいる。
だが、この男が「幻(まぼろし)」といわれているのは、これだけが理由なのではない。